Eudaimonia と Hedonia
- 俊介 大村
- 3 日前
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1.アリストテレスの幸福論と快楽
「幸福とは何か」という根源的な問いかけは、古代ギリシャの時代からーーそして、おそらくもっと遥かに昔からーー繰り返されてきました。この問いに対して、哲学者アリストテレスが提出したのが、「真の幸福とは、ユーダイモニアEudaimoniaである」、という主張です。
では、ユーダイモニアとは、何か。アリストテレスは「二コマコス倫理学」の中で、①その人の持てる素質を完全に花開かせ(=自己実現)、②魂をより良いものにし(=徳を積み)、③それに従って生きる(善く生きる)状態に達することが、最高の善であり、真の幸福、ユーダイモニアだとしました。
心理学の研究では、心理的幸福感を達成するためには①人格的成長、②人生における目的、③自律性、④環境制御力、⑤自己受容、⑥積極的な他者関係が必要だとされてます(Ryff, C.D.,1989)が、これらの要素は、ユーダイモニアの達成にも深く関係すると考えられています。このような幸福は、達成までに長い時間を要する一方で、目先の出来事に左右されない持続性があることが特徴です。
これに対してヘドニアHedoniaは、快楽、つまり短期的で刹那的な幸福を意味します。今この瞬間を楽しむことで、人生は豊かになるという考えです。ユーダイモニアの優越性を主張する文脈では、ヘドニアはしばしば否定的に、短絡的で愚かなものの考え方として語られますーーイソップ物語の「アリとキリギリス」はご存じのとおり、将来に備えて勤勉に働くことの大切さと、後先を考えずに遊び暮らすことの浅はかさを対比した寓話です。
2.価値相対化、流動化の時代
しかし、価値観が多様化し、あらゆるものが物凄いスピードで移り変わっていく現代社会においては、何が正しいか、何をすべきかを見定めるのは容易なことではなく、アリストテレスやその弟子のプラトンが主張したような、物事の究極のかたち(イデア)を追求することは、それ自体困難になっています。アリストテレスが定義した「幸福」の外延は、現代社会においては狭すぎるきらいがあります。
古代ギリシャの時代には、毎日顔を合わせる人は決まっており、一生のうちに触れる情報の量も限られ、生活の変化も僅かでした。これに対して、「答えのない問い」に対する「自分なりの答え」を出し続けていく労苦を課せられた時代にあって、人生の目的を定義し、自らの特性を見定め、これと調和させつつ自らを他者との関係性の中に編み込んでいくーーという営為には、様々な困難と、落とし穴があります。
では、どうすればいいか?ーー他者との積極的な関わりの中で試行錯誤を重ねていくしかありません。
五感を磨き、目の前にある物や体験を楽しむことは、他者との交流を活性化させてくれます。それは打算だけではなく、人間らしく生きることを礼賛する瞬間でもあります。美味しいものを食べたときに素直に「美味しい!」と感じることや、優れた芸術作品や音楽に触れたときの涙が頬を伝わってくるような感動、こうした五感を通じた幸せもヘドニアであり、普遍的かつポジティブなものであるがゆえに、人の垣根を簡単に超えていくことができます。
こういう時代だからこそ、人間らしさを正面から肯定し、人生を楽しむという姿勢が大切ですし、そういう人の周りには、人が集まってきて、色々な視点を与えてくれるでしょう。
3.両利きの戦略
アリストテレスも、ヘドニアを全面的に否定していたわけではありません。ただ、究極の目的を達成するための休息を与えるに過ぎないから、二次的な重要性を持つにとどまるのだ、と言ったのです。今の時代にあっては、ユーダイモニアとヘドニア、どちらも追い求めなければ人生の荒波を乗り越えていくことは出来ず、いずれに偏っても、どこかで不足した要素が足を引っ張ることになります。
日本では、蛍雪の功を厭わず猛勉強していい大学に入り、一流企業に就職して定年まで粉骨砕身働く、というのが「勝ち組」の生き方とされてきましたが、そのような流れはもはや崩れつつあり、そもそも、それで、本当にいい人生を送れたといえるだろうか、皆立派な人間になれただろうか、子どもに伝えるべきことを伝えられただろうかーーという問いは、振り返りとして、また現在進行形の問いとして、これからもっと深く問われていかなければなりません。
UHNWの次世代教育は、ユーダイモニアとヘドニア、両方の視点を携え、いつ、どのような学びの機会を設けるか、どんな体験を共有し、どんな価値観を育てていくか、長期的な視点でプランニングし、常に見直し、アップデートしていくことが必要です。


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